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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)12286号 判決 1998年4月16日

第六六七七号・第一〇九八六号・第一一二六〇号・第一二一九七号

第一二二八六号・第一二二八七号事件原告

小野薬品工業株式会社(以下、単に「原告」という)

右代表者代表取締役

上野利雄

右訴訟代理人弁護士

高坂敬三

夏住要一郎

鳥山半六

岩本安昭

阿多博文

田辺陽一

第六六七七号事件被告

共和薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

杉浦好昭

第一〇九八六号事件被告

小林化工株式会社

右代表者代表取締役

小林喜一

第一一二六〇号事件被告

長生堂製薬株式会社

右代表者代表取締役

播磨久明

第一二一九七号事件被告

辰巳化学株式会社

右代表者代表取締役

黒崎昌俊

第一二二八六号事件被告

大正薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

増井謙治

第一二二八七号事件被告

大原薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

大原大

右被告六名訴訟代理人弁護士

安田有三

小南明也

右第六六七七号・第一一二六〇号・第一二二八六号・第一二二八七号事件各被告補佐人弁理士

長沼要

右第一〇九八六号・第一二一九七号事件各被告補佐人弁理士

川上宣男

第六六七七号事件被告

東和薬品株式会社

右代表者代表取締役

吉田逸郎

右訴訟代理人弁護士

花岡巖

新保克芳

主文

一  原告の平成八年(ワ)第六六七七号、同第一〇九八六号、同第一一二六〇号、同第一二一九七号、同第一二二八六号、同第一二二八七号事件各被告に対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とす。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

一  平成八年(ワ)第六六七七号、同第一〇九八六号、同第一一二六〇号、同第一二一九七号、同第一二二八六号、同第一二二八七号事件各被告は、平成一〇年七月二一日が経過するまで、別紙目録記載の医薬品(以下「被告製剤」という)を販売してはならない。

二1  平成八年(ワ)第六六七七号事件被告共和薬品工業株式会社(以下「被告共和薬品工業」という)は原告に対し、金五〇万〇六三一円を支払え。

2  同第一〇九八六号事件被告小林化工株式会社(以下「被告小林化工」という)は原告に対し、金一一万九〇三一円を支払え。

3  同第一一二六〇号事件被告長生堂製薬株式会社(以下「被告長生堂製薬」という)は原告に対し、金七八七万八二三一円を支払え。

4  同第一二一九七号事件被告辰巳化学株式会社(以下「被告辰巳化学」という)は原告に対し、金一一万九〇三一円を支払え。

5  同第一二二八六号事件被告大正薬品工業株式会社(以下「被告大正薬品工業」という)は原告に対し、金八六万六三三一円を支払え。

6  同第一二二八七号事件被告大原薬品工業株式会社(以下「被告大原薬品工業」という)は原告に対し、金三七六万一三三一円を支払え。

7  同第六六七七号事件被告東和薬品株式会社(以下「被告東和薬品」という)は原告に対し、金一一万九〇三一円を支払え。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

本件は、既に存続期間が満了した特許権を有していた者で、その特許発明の実施品である化合物を含有する医薬品を製造、販売している原告が、右特許権の存続期間満了前に被告らが右医薬品の後発医薬品(被告製剤)について製造承認を得るために必要な資料を調える目的をもって、これに必要な範囲で右特許発明の技術的範囲に属する化合物を含有する製剤を製造し、これを使用して規格に関する試験、加速試験及び生物学的同等性に関する試験を行ったことは、右特許権を侵害するものであり、右特許権の存続期間満了後に右製剤を販売することは右特許権侵害行為から派生した一連の違法行為であると主張して、特許権又は不法行為に基づき、特許権の存続期間満了の翌日から右各試験を行っていたとすれば製造承認申請をするまでに必要であったはずの期間としての六か月間と製造承認申請をしてから製造承認を受けるまでの標準的事務処理期間である二年間の合計二年六か月が経過するまでの間、右製剤の販売の差止めを求めるとともに、右特許発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額の損害賠償として(特許法一〇二条二項)、①右特許権侵害により前倒しで製造販売が可能になった存続期間満了後二年六か月間の被告らの右製剤の製造販売額と②存続期間中における右各試験のために被告らが製造した右製剤の製造販売相当額との合計額の一〇%相当額の支払を求めた事案である。

一  基礎となる事実(特に証拠等を掲記するもの以外は、争いがない)

1  原告は、平成八年一月二一日の経過により存続期間が満了するまで、グアニジノ安息香酸誘導体および該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と膵蔵疾患治療剤(メシル酸カモスタット製剤)に関する次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という)を有していたものであり、昭和六〇年八月以降、本件特許発明の実施品であるメシル酸カモスタット製剤(商品名「フオイパン錠」。以下「原告製剤」という)を製造、販売してきた(製造販売の開始日については、被告東和薬品を除く被告六名〔以下「被告共和薬品工業ら」という〕との間では弁論の全趣旨)。

(一) 特許番号 第一一二二七〇八号

(二) 発明の名称 グアニジノ安息香酸誘導体および該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と膵蔵疾患治療剤

(三) 出願日 昭和五一年一月二一日

(四) 公告日 昭和五七年三月二五日

(五) 登録日 昭和五七年一一月一二日

(六) 特許請求の範囲 別添特許公報抄本の特許請求の範囲記載のとおり

2  本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤について、被告共和薬品工業は平成八年二月二六日に「パンクレール錠一〇〇mg」という商品名で被告小林化工は同日に「カモスタット錠一〇〇」という商品名で、被告長生堂製薬は同日「メシルパン錠一〇〇」という商品名で、被告辰巳化学工業は同年三月一五日に「レセプロン錠一〇〇」という商品名で、被告大正薬品工業は同月一四日に「リビリスター錠一〇〇」という商品名で、被告大原薬品工業は同日「アーチメント錠一〇〇mg」という商品名で、被告東和薬品は同月七日に「カモスタール錠一〇〇」という商品名で、それぞれ薬事法一四条に基づく製造承認を取得し、既に製造販売を開始している。

3  被告製剤は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するものであるところ、その製造承認の申請書には、左記の資料を添付することを要する(薬事法施行規則一八条の三。甲三、乙三)。

イ 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として規格及び試験方法に関する資料

ロ 安定性に関する資料として加速試験に関する資料

ハ 吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料

ニ 当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収、分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト及びその内容概要並びに評価結果の資料

右のうちロの加速試験は、六か月以上の試験期間が要求されており(甲三)、また、医療用の後発医薬品について、都道府県知事がその製造承認申請を受理した日から厚生大臣が当該医薬品に承認を与えるまでの標準的事務処理期間は、当分の間、二年間とされている(甲四)。

4  被告らは、被告製剤について薬事法一四条に基づく製造承認申請書に添付する資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に、被告製剤を必要量製造し、これを使用して次のとおり規格に関する試験、加速試験及び生物学的同等性に関する試験を行い(以下、これらの各試験を「本件試験」という)、本件試験によって得た資料を添付して被告製剤の製造承認申請をした。

(一) 規格に関する試験

含量、性状等の規格に関する試験

(二) 加速試験

検体…被告製剤につき保存条件ごとに三ロットから一検体ずつ採取する。原則として包装した状態で試験を行う。

保存条件…原則として①によるが、貯蔵温度を特別に設定する場合は②による。必要に応じて①又は②に加えて、他の条件でも試験を行う。

① 四〇℃(±一℃)、七五%RH(±五%)

② 設定する貯蔵温度プラス一五℃(±一℃)、七五%RH(±五℃)

試験期間…六か月以上

測定時期…試験開始時を含め四時点以上

測定項目…含量(力価)、分解生成物の量、性状、製剤の有する特性等

測定試料…各検体より三試料

(三) 生物学的同等性に関する試験

対象…原則として健康人

例数…適切な統計的処理が可能となる例数

検体…最終製品(被告製剤)

投与量…臨床常用量

投与方法…臨床投与経路による一回投与を原則とする。

比較方法…適切な休薬期間をおいた交叉試験法

比較項目…血中濃度

二  争点

1(一)  薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤を製造、使用して行う本件試験は、本件特許権を侵害するものであるか。

(二)  本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権又は不法行為に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤の販売を差し止めることができるか。

2  被告らに損害賠償責任が認められる場合に、原告に対し賠償すべき損害の額。

第三  争点に関する当事者の主張

一  争点1(一)(薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤を製造、使用して行う本件試験は、本件特許権を侵害するものであるか)について

【原告の主張】

被告らが本件特許権の存続期間中に行った本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、本件特許権を侵害するものである。

1 後発医薬品の製造承認を得ることを目的とする製剤の製造、それを用いた試験研究は、特許発明の実施そのものであり、特許権を侵害するものである。特許権は、その存続期間中は業としての当該特許発明の実施を独占できる権利であり、第三者が右特許発明を実施することは、たとえ市場に参入しなくても特許権侵害を構成することは明らかである。被告共和薬品工業らの主張に従えば、存続期間中に市場に参入さえしなければ特許発明を業として実施することが許されるということになり、例えば、存続期間満了後に販売することを目的として存続期間中に大量に製造するというような行為も違法でないということになる。

被告共和薬品工業らの援用する特許法の一部を改正する法律(平成六年法律第一一六号。以下「改正法」という)附則五条二項についていえば、後発医薬品の製造承認を得ることを目的として被告製剤を試作し、本件試験を行うことは、特許発明の実施そのものであり、同規定にいう「事業の準備」に含まれると解すべきものではない。そもそも右の規定は、事業の準備をしている者に対して延長された存続期間内において通常実施権を付与するに止まり、延長前の存続期間内において特許発明を実施し、特許権を侵害する行為をすることをいささかも容認するものではないから、改正前の存続期間満了後に特許発明を実施する者に対する救済規定とはなりえても、本来の存続期間満了前にフライングスタートをして、特許権を侵害している者の救済規定とはなりえないのである。

被告ら主張の厚生省の事務連絡による取扱いは、本件のような問題を考慮した上のものではなく、薬事法で定められた適式の申請であれば、特許権の存続期間中の申請も受け付けるとしたものにすぎず、それが特許権を侵害するか否かの問題とは無関係である。厚生省は、いうまでもなく特許権侵害の有無につき司法判断をなすべき立場にないから、厚生省が製造承認申請を受理したことを理由に侵害行為を正当化しようとするのは筋違いである。

2 被告らが本件試験を行うことが特許法六八条にいう「業としての実施」に該当することは、疑問の余地がない。

まず、被告製剤を製造し、本件試験に使用することが特許法二条三項一号にいう特許発明の「実施」に当たることは明白であり、現に、同法六九条は、「試験又は研究のためにする」製造、販売も特許発明の「実施」に当たることを前提として立法されたものである。「業として」という要件も、「個人的あるいは家庭的な以外の実施を指す」(中山信弘編著・注解特許法第二版上巻六二六頁)のであり、被告らが行った本件試験は製造承認申請のためのものであり、これが特許法六八条にいう「業としての実施」に当たることは、明らかである。

他方、同法六七条二項にいう「特許発明の実施」は、それについて「政令で定める処分」を受けることが必要であるような「実施」(医薬品の場合、製造販売行為)と読むべきものであり(試験用の製剤の製造、各種試験のための使用は、薬事法上の承認がないからといって、できないわけではない)、被告共和薬品工業ら主張のように同法六八条一項にいう特許権者に独占されるべき「特許発明の実施」と同一の意味を持つものとは、到底解されないし、そのように解する必要もない。

3 本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、被告共和薬品工業らの主張する特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当しない。

(一) 同条は、発明を公開し、改良発明を促すという特許法の目的から認められたものであり、「試験研究という名がつけば全ての実施が合法となるものではなく、…あくまでも技術をさらに発展させるための試験研究のための実施のみ合法であり、販売目的や市場調査の目的のための実施は、なんら技術を発展させるものではないから侵害となる」(中山。前掲書六三八頁)。被告らが実施した本件試験は、薬事法による製造承認を受けることのみを目的として行われたものであり、何ら技術の発展を目的としたものではなく、およそ同条にいう試験又は研究を目的としたものとはいえない。剤型の工夫や安定化の工夫などは、本件特許発明にかかる物質に何ら改良を加えるものではなく、本件特許発明を進歩させるものではないから、製造承認を得るための実施を合法化するものではない。東京地裁昭和六二年七月一〇日判決・判例時報一二四六号一二八頁(以下「除草剤事件判決」という)は、農薬登録を得るための試験は特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には当たらない旨を明確に判示している。

特許法六九条一項の試験研究のための実施は、学説上、改良を加えることを目的とする試験研究、特許性調査を目的とする試験研究、技術内容を確認、理解するための機能性調査を目的とする試験研究の三類型に整理されるが、右の三類型に外形的に該当するような試験研究であっても、例外的に特許権者の市場での利益を害するおそれのあるような場合には、特許権者の利益と特許制度上の他の要請(改良行為・特許性調査・機能性調査の奨励)との調和の観点から結論を導くことが必要となる。

本件で原告が違法行為であるとするのは、被告らが市場で販売することを目的として製造し、製造の承認を得るため薬事法上要求されている試験を行う行為である。この行為が特許権者の市場での利益を害するおそれがあることは多言を要しない。したがって、特許法六九条一項の解釈に当たっては、特許権者の利益を不当に害することがないように配慮する必要があり、特許権者の利益を犠牲にしてまで適法とすべきと評価されるほどの、改良目的、機能性調査等の目的が存在するかということが検討されねばならない。

薬事法一四条三項は、医薬品の製造承認申請に当たり臨床試験の試験成績に関する資料等を添付することを要求しており、その内容・範囲は、同法施行規則一八条及び厚生省薬務局長通知第六九八号(甲三・一一四頁)により定められている。右通知によると、(1)から(7の2)までは、新有効成分含有医薬品、新医療用配合剤、新投与経路医薬品、新効能医薬品、新剤型医薬品、新用量医薬品、剤型追加にかかる医薬品、類似処方医療用配合剤についての定めであり、従来の医薬品に何らかの意味で新しい改良点が含まれているために、詳細な「臨床試験の試験成績に関する試料」の添付が要求されている。それに対して、(8)に定められている「その他の医薬品」、すなわち被告製剤のように既に承認を得て市販されている医薬品と同一成分のものは、品質や有効性、安全性については確認済みであるため、そのような詳細な資料は要求されておらず、「生物学的同等性」等に関する資料のみが要求されている。

右(1)から(7の2)までの新有効成分含有医薬品等は、有効成分、分量、用法、用量、効能、効果等において既存の医薬品とは異なる点があり、薬事法上要求される試験は、製造の許可を取得するためのものであるとともに、臨床試験に先立って既になされた技術改良の成果が現実に使用可能であるかを確認するためのものであり、改良行為の一環であるとみることができる。

もっとも、既存の医薬品の改良といっても、すべてが特許法六九条一項によって違法性がなくなるものではなく、例えば剤型のみの改良のように、既存の医薬品にかかる特許発明の価値と比較してあまりにマイナーな改良にすぎないと考えられる場合には、特許権者の利益と衡量して、同項の試験行為とはいいがたいこともあるのである。

更に、右(8)の「その他の医薬品」について要求されているのは、既存の医薬品との同一性の証明だけであり、その生物学的同等性の試験は、申請対象の医薬品を患者にではなく健康な人間に投与して、既存の医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であるから、患者を対象とした臨床試験とは異なり、既存の医薬品の特許性を支える薬効自体の改良につながるような資料は得られないのであり、服用しやすい剤型の工夫などマイナーな改良の端緒となる資料が得られる可能性はあるが、かかる程度では、特許権者の利益を犠牲にしてまで適法とすべきと評価されるような改良につながるものとはいいがたい。

仮に右の生物学的同等性試験を機能性調査と考える余地があるとしても、試験内容は、有効成分の血中濃度を測定するだけであり、販売のための製造承認を得ることが主たる目的であることを考え併せれば、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」として特許権の効力の範囲外とするに値するものではないから、少なくとも本件試験のうち生物学的同等性の試験に伴う実施は、結論として侵害を構成する。

(二) 昭和六二年の特許法改正により存続期間の延長登録制度(六七条二項)が導入された際の経緯に鑑みても、価値ある改良につながらないような場合には、製造承認を得るため薬事法上の試験等を特許権の存続期間中に行う行為は違法であると考えるべきである。

すなわち、右改正により存続期間の延長登録制度が設けられた理由は、医薬品等の発明については、その安全性を確保する必要があることから、特許法とは別に薬事法その他個別の法令による許可がなければ製造できないこととされているため、特許権自体は成立しても薬事法等の許可を得るまでの期間は、特許権者といえども製造、販売できず、事実上特許権の存続期間が侵食される結果となり、発明のインセンティブが不十分になるという点にある。改正のきっかけは、アメリカ合衆国において、先発医薬品会社と後発医薬品会社の各業界間の政治的な駆引きの結果、五年を限度として特許権の延長を認めると同時に、製造の許可を得るための試験は侵害を構成しないが、先発医薬品会社の特許権存続期間中には製造承認申請を行い得ないとする規定が新設されたことである。このように、医薬品を中心とする規則産業において、どの程度特許権の存続期間の延長を認めるべきかという問題は、存続期間満了前に製造承認を得るために必要な試験の実施や製造承認申請を認めるべきかという問題と密接不可分な関係にある。そして、この点は、我が国における薬事法による規制の事情に照らせば、先発医薬品と同等のものについても製造承認を得るための審査に二年六か月はかかっているというのであって、その期間特許権者による特許発明の独占を認めるか否かで非常に大きな違いが出るのであり、当時既に、農薬取締法二条に基づく農薬登録を得る目的でなされた試験について、技術の進歩を目的とするものではなく専ら販売を目的とするものである場合には、特許法六九条一項にいう試験又は研究のための実施に当たらない、との一般論を明確に打ち出した除草剤事件判決が存在し、学説の多くの賛同を得ていたのであるから、仮に右改正に際し、右裁判例や学説に反して後発医薬品会社によるいわゆるジェネリック製品の製造承認を得るための特許権存続期間中の試験を適法とする意思が立法者にあったとすれば、その旨の明文の規定をおくか、少なくとも疑義の生じないよう手立てが講じられたはずであるのに、何ら措置が講じられなかったことからすると、右当時の裁判例、学説を前提として存続期間の特則が定められたと解すべきであり、存続期間延長制度が存在することは、被告らの行った本件試験が違法であると解することの妨げとはならない。

したがって、同法六七条二項の立法過程からしても、少なくとも既存の医薬品と同一であることを示すための生物学的同等性の試験については、特許権の存続期間中に行うことが違法であるのは明白というべきである。

4 被告共和薬品工業らは、仮に本件試験が、特許法六九条一項にいう「業としての実施」に該当し、かつ、同法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当しないとしても、実質的違法性を欠く旨主張するが、失当である。

(一) そもそも被告らは、本件特許権の存続期間中には本件特許発明の実施をなしえないのであるから、原告の許諾なく本件特許発明の対象である薬剤の原末を製造し、製造承認に必要な試験を行うものである本件試験は、まさに本件特許権を侵害するものであり、既にそれだけで違法なことであって、実質的違法性を云々する余地などありえない。このような被告らの特許権侵害行為により存続期間満了後に原告の売上げが減少し損害が発生すれば、それは被告らの特許権侵害行為と相当因果関係のある損害であり、被告らにその責任があることはいうまでもない。したがって、存続期間満了後に生じた損害について、被告らが存続期間中に販売行為を行っておらず、存続期間中に競合していないからといって、実質的違法性がないとはいえないのである。

(二) 被告共和薬品工業らの援用する米国特許法二七一条(e)(1)は、これに続く(2)が特許権の存続期間満了前の許可申請書の提出(我が国でいえば製造承認申請)は特許権の侵害行為となることを明文で規定することによって特許権者の権利保護を図っているのであり、そのような明文の制限規定を設けていない我が国とは事情が根本的に異なる。また、EU諸国においても、特許権の存続期間中の後発医薬品の製造承認のための試験は特許権侵害になる旨の判決がいくつも出されており、米国のように試験はできるが存続期間中の後発医薬品の許可申請はできないという方向での解決を目指して立法の検討が行われているのであって、一九九六年四月のEU議会の決議も、直ちに我が国の法解釈に援用できるものではない。

【被告共和薬品工業らの主張】

特許権の存続期間満了後の実施に向けた存続期間中の各種の準備行為、すなわち製造承認申請に向けての本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、何ら違法ではなく、本件特許権を侵害するものではない。

1 我が国の特許制度並びに薬事法及び薬事行政の下で、存続期間満了後の製造販売に向けてその満了前に行う各種準備行為は、何ら違法性を帯びるものではない。

(一) 特許権者は、特許発明を独占的に実施できることによって発明のために投下した資本を回収し、利益を獲得するのであり、その代償として当該特許発明を一般に開示する。第三者は、開示された発明を知得して更に新たな技術を開発したり、存続期間が満了した後に自ら特許発明を実施するために各種の準備行為を行うのであるから、第三者が、特許権の存続期間中に市場に参入しない限り、他製品の開発のために試験又は研究をしたり、存続期間満了後の実施に向けて各種の準備行為をしたとしても、特許権者は特許法が付与した権利を何一つ侵されていない。

特許法が、特許権者に「業として」特許発明の実施をする権利の独占を認めている(六八条)のも、試験又は研究のための特許発明の実施には特許権の効力が及ばないとしている(六九条一項)のも、業としての実施でなければ、あるいは試験又は研究のための実施であれば、特許権者の市場における独占という利益が少しも損なわれることがないからであって、いわば特許制度に内在する当然の事柄を規定したにすぎない。

(二) 特許権の存続期間満了後に特許発明を実施することは、何人も自由にできるから、満了直後から市場に参入するためにその準備行為をしておくことは当然である。その準備の内容や準備期間の長短はそれぞれの業種や製品の種類によりまちまちであるが、製品でいえば、市場に出す製品を試作し、その機能、効用、安全性などの試験を実施することは不可欠であり、かかる行為を行っても、特許権者に何らの損害も与えることがなく、また存続期間満了後の市場参入に当たっては必要不可欠であることからすれば、特許法がかかる行為を違法視しているなどということは到底考えられない。右のような準備行為を認めないで、存続期間満了後は実施が自由であるといっても意味のないことであるし、存続期間満了後の市場参入に向けてその満了前に準備行為を行うことが禁止されるならば、かえって不良品、危険品の横行を助長する結果となる。もし存続期間満了後から準備行為を始めるべきであるというのであれば、存続期間満了後から実施が自由であるという大命題が没却されることになる。

このように、医薬品の分野においてはもとより、他業種の製品であっても、存続期間満了後の実施に向けてその満了前に準備行為を行うことは当然であり、これが問題とされた例を聞かない。

(三) 特許権の存続期間中の準備行為に関し、医薬品の特殊性として、製造行為には薬事法上の製造承認という行政手続が必要であり、製造承認申請までに約一年、申請から製造承認までに約一年六か月を要するという薬事行政の実態から、特許権の存続期間満了後からの実施に備えて必要な準備期間が置かれているという点が挙げられる。

原告は、存続期間中の準備行為は違法である旨主張するが、全くの制度論、立法論であって、現行法の解釈としては採りえない。原告も主張するように昭和六二年の特許法改正により先発医薬品に関する特許について存続期間の延長登録の制度が設けられたが(六七条二項)、これは、新薬に同規定でいう「発明の実施である事業の準備」の典型例であり、これを違法視すれば、医薬品に関する特許については改正法附則五条二項の適用はほとんど考えられないことになる。後発医薬品会社は、実施の準備として、原末を試作し、規格試験、加速試験、生物学的同等性試験などの各種試験行為を行い、そのデータを記載した資料を添付して製造承認申請に及ぶのであり、かかる一連の行為を抜きに実施の準備など到底考えられない。

(四) 厚生省は、従来から特許権の存続期間満了後の実施に向けての製造承認申請をその満了前に受理していたが、平成七年六月二八日付の各都道府県薬務主管課宛の事務連絡により、先発医薬品の特許権の存続期間満了日前の後発医薬品の承認申請の取扱いについて、「特許期間の満了を見込み、承認審査の標準的事務処理期間を考慮して後発品の承認申請を行うことは差し支えないものとすること」との通知を発している(乙一)。このように、医薬行政を主管する厚生省の取扱い自体が存続期間中の承認申請行為を差し支えないものとしているのである。

2 本件試験は、特許法六八条にいう「業としての実施」には当たらない。

(一) 製造承認申請に向けての一連の準備行為は、特許法六八条にいう「業としての実施」には当たらないというべきである。

まず、「業としての実施」に該当しない典型的な例として挙げられる個人的、家庭的な実施が、「業としての実施」に該当しないのは、市場において特許権者と競業関係に立たず、特許権者の独占の外に位置せしめても特許権者に何らの損害も与えないからである。

一方、本件試験のような後発医薬品の製造承認申請のための準備行為も、それにより特許権者に何らの損害も与えない。すなわち、後発医薬品の製造承認申請のための準備行為は、当該医薬品を患者にではなく、健康な人間に投与して、先発医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であり(生物学的同等性試験)、先発医薬品と競合して患者に投与して治療する行為ではないことからして、市場競争に参入するものではなく、この点において個人的、家庭的な実施と変わるところがない。しかも、右の試験は、まさに「業として」の製造販売の承認を受けるために行政法規で定められた義務なのであって、それ自体利益を得ることを目的としたものではなく、将来の「業としての実施」に備えて必要とされる行政目的上の行為にすぎないのである。

(二) かかる準備行為が「業としての実施」に該当しないことは、同じ特許法上の他の規定からも明らかである。

(1) まず、特許法六七条二項は、医薬品についていえば、前記のとおり新薬に関する特許取得後も薬事法上の製造承認(行政処分)が得られるまで事実上「特許発明の実施」ができないことから定められた存続期間の延長登録の制度の規定である。

「特許発明の実施をすることが二年以上できなかったとき」とは、製造承認申請に向けての準備行為及び承認までの期間を指すものであるから、準備行為が「業としての実施」に含まれていないことはいうまでもない。特許法自体、製造承認に向けての準備行為を「業としての実施」に該当しないことを明らかにしているのである。特許法六八条にいう「業としての実施」と六七条二項にいう「実施」とは同じ場面における問題であり、この意味を別異に解釈する理由はない。先発医薬品会社は、特許を得ても製造承認を得られない間は実施(製造販売)をすることができないとの理由から、存続期間の延長が認められているのであり、まして薬事法一条の目的において「品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制」を行うとされ(先発医薬品に限らず後発医薬品も同法の規制下に置かれることは当然のことである)、特許法六七条二項にいう「特許発明の実施について安全性の確保」と同一文言とされていることを併せ考えるならば、後発医薬品会社が製造承認を得るための準備行為は、六八条にいう「業としての実施」に該当しないと解するのでなければ、明らかに矛盾する。

(2) 次に、改正法附則五条二項は、改正法公布前に「発明の実施である事業の準備をしている者」に法定の通常実施権を認め、特許法七九条は、出願の際「発明の実施である事業をしている者」又は「その事業の準備をしている者」にいわゆる先使用権を認めている。

これらの規定にいう「発明の実施である事業」をすることとは、特許法六八条にいう「業としての実施」と同じ意味であることはいうまでもない。そして、「発明の実施である事業の準備」は、実施そのものとは明確に区別されているのであり、先使用権でいえば、出願前から既に製造販売を行っている者が「発明の実施である事業をしている者」であり、それまでに至らない者が「その事業の準備をしている者」なのである。したがって、六八条にいう「業としての実施」もこれと同じく文字どおり製造販売を行うことであり、製造販売に向けて準備行為をしている者は、「発明の実施である事業の準備をしている者」であって、「発明の実施である事業をしている者」すなわち「業としての実施」をしている者に該当しないことは明らかである。

医薬品についていえば、製造承認に向けて各種の準備行為を行っているのは「発明の実施である事業の準備をしている」段階であり、「事業をしている」段階には至っていないのである。

3 本件試験のような準備行為は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。

(一) 特許法六九条にいう「試験又は研究」に該当するか否かを、原告主張のように技術の進歩を目的にしているか否かで分けることは、その基準が極めて不明確であり正当ではない。現に後発医薬品会社が先発医薬品とその薬効成分を同一にする製剤を製造するに当たっては、単に製造承認申請をする目的のみをもって製造するだけではなく、服用しやすいように剤型を工夫したり、安定化を図ったりするなど諸々の研究や試験を行うのであり、その過程で、製剤化に関する新たな技術が開発されることも少なくないのである。

特許法六九条は、発明の実施の目的として「試験又は研究のため」としているのに止まるのであって、更にその「試験又は研究」の目的まで限定しているわけではなく、また、「試験又は研究」の目的は種々雑多であり、一定の概念に固定することはできないから、同条は、「試験又は研究」の目的が何であるかを問わず、一律にこれを特許権の及ばない範囲として定めているというべきである。このように解しても、特許権者には何らの損害を与えることなく、また技術の進歩にも資するものである。

特に製薬産業における後発医薬品会社が行う準備行為は、たとえそれが製造承認申請に向けてのものであったとしても、自ら製造し将来市場に出そうとしている製品の内容、性状、機能などを調べるものであるから、典型的な試験行為であり、前記のとおりその過程で新たな技術開発がされることも少なくないのであるから、右の「試験又は研究」の概念から除外する理由も必要もない。

(二) 原告の引用する除草剤事件判決は、次のとおり、必ずしも本件に適切ではない。

すなわち、除草剤事件判決は、訴え提起時には特許権の存続期間がまだ六年も残っており、その口頭弁論終結時までの間に被告が、被告物件の製造、輸入、使用、譲渡の目的で、農薬登録申請に必要な被告物件の薬効などについての適性試験を第三者に委託したが、その時点で既に海外で被告物件の販売を開始し、適性試験については十分な資料を収集していたという事案において、特許法六九条一項所定の「試験又は研究」は、本来技術を次の段階に進歩せしめることを目的としたものであって、特許にかかる物の生産、譲渡などを目的とした試験、研究には適用がないとの判断を示した上、特許法一〇〇条一項に基づき将来の侵害の予防請求として被告物件の製造販売等の差止めを、同条二項に基づき侵害の予防に必要な行為の請求として、試験委託や農薬登録申請の差止め等を命じたものである。右のとおり同事件における被告は、特許権の存続期間がまだ六年も残されている時点で試験や登録申請等の行為を行っていたものであり、しかも、被告物件が特許権を侵害するものであることを争い、差止請求権不存在確認の訴えまで提起しているのであり、このような事実関係の下では、被告は、特許権の存続期間中に被告物件の製造販売を開始するおそれは十分にあったと考えられるから、裁判所は予防請求を認容したわけである(既に海外で被告物件の適性試験について十分な資料を収集しており、第三者への試験委託は、専ら申請のための形作りであったこともその背景にあった)。

これに対し、本件においては、特許権の存続期間の満了が目前に迫っていて、後発医薬品会社がその製品を市場に出すのは存続期間満了後であることが明確な状態における準備行為が問題とされているのであって、除草剤事件判決のように予防に必要な行為の差止めの問題が生じているわけではない。

4 仮に特許権の存続期間満了後における製造販売に備えて存続期間中に行う製造承認に向けての各種準備行為が、特許法六八条にいう「業としての実施」に該当し、かつ、同法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当しないとしても、本件試験は実質的に違法性を欠くものといわなければならない。

(一) 特許権者が独占の利益を享受するのは、特許権の存続期間中における市場競争の場においてであるが、特許権の存続期間中であっても、被告製剤が製造承認に向けた準備行為の対象に止まり、何ら市場で原告製品と競合することがなければ、原告に何らの損害も生じないことは明白である。原告がこの点につき原告の損害として主張するところは、新薬開発の投資に比し、特許権者は十分な保護を与えられていないという事情を述べるものにすぎない。しかしながら、立法論、制度論としてはともかく、特許権の存続期間が定められ、右期間経過後は実施が自由であるとされる現行法制度の下においては、かかる議論は全く意味を有しない。

原告の主張に従えば、後発医薬品会社は存続期間が満了して初めて後発医薬品の製造承認申請に向けた準備行為に着手すべきであるということになるが、現在の薬務行政下においては、事実上存続期間満了後二年六か月近く経過しないと後発医薬品の製造販売ができない結果となり、存続期間満了後は特許発明の実施は自由であるという現行特許制度の大前提を損ねることになる。その結果、特許権者は更にその期間市場を独占することができるのであるが、かかる利益の享受は何ら特許法の予定するところではない。

(二) もし、準備行為が違法性を帯びるのであれば、それは民法上の不法行為を構成するということになるが、民法上の不法行為は、もともと第三者に損害を与えた行為が違法な行為であったか否かを命題とするものであり、損害を与えない行為はそもそも違法行為とはならないのである。

もちろん、同じ行為であっても損害が発生したりしなかったりすることはあろうが、本件試験のような準備行為は、画一的、定型的に特許権者に損害を与えない行為であると断言できるものである。なるほど特許権の存続期間中に製造承認に向けた準備行為がされたためその満了と同時に後発医薬品が市場に出ることになれば、二年六か月後に後発医薬品が出る場合より特許権者が得られる利益は少なくなるだろうが、それは、競業者が出現したために独占していた時より利益が減ったというだけのことであって、決して現行法下での損害として観念できるものではない。

このように画一的、定型的に損害を与えない行為をもって違法な行為とすることは、民法上の不法行為の概念から著しく逸脱するものである。

(三) 米国では、一九八四年にいわゆる特許権存続期間回復法により、医薬品特許については存続期間の延長制度が制定されるとともに、特許法二七一条(e)の新設により、製造承認申請のための準備行為としての製造、販売、使用は侵害行為とは見做されない旨規定された(いわゆる「ボーラ条項」)。

また、欧州では、一九九六年四月、EU議会において、存続期間中に行われる申請手続に必要な準備、実験は特許権侵害にならない(ボーラ条項)とする決議案が採択されている(乙六)。

これら欧米における処理はむしろ当然の事理を規定、決議したものであって、かかる規定のない我が国にあってもこれと別異に扱う理由も必要性もない。

【被告東和薬品の主張】

特許権の存続期間中に、その満了後に特許発明の実施品である医薬品(先発医薬品)の市場に参入するべく後発医薬品会社が製造承認を得るために必要な試験等を行うことは、形式的には特許権者の独占的実施権(六八条)の侵害を構成することは否定しがたい。

二  争点1(二)(本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権又は不法行為に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤の販売を差し止めることができるか)について

【原告の主張】

1 特許権に基づく差止請求

被告らが本件特許権の存続期間中に行った本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、前記のとおり本件特許権を侵害する違法な行為であり、右違法な行為に基づいて被告製剤を販売する行為も、右違法行為と表裏一体をなすものであって違法であることが明らかであるところ、被告らは、本件特許権の存続期間中に右のような特許権侵害行為たる本件試験を行い、その侵害行為の成果に基づき被告製剤につき製造承認を取得し、存続期間満了直後からこれを販売して利益を得ようとするものであるから、本件特許権の存続期間中における侵害行為がなかったとすれば現在あるであろう姿に戻すという限度において、特許権者たる原告は、存続期間満了後も本件特許権に基づく差止請求権を行使することができると解すべきである。その理由は、以下のとおりである。

(一) 特許法は、「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」(一条)ものであり、具体的には、発明について登録制度を設け、登録された発明に特許権という法的保護を付与することによって、発明への意欲を喚起し、よって社会の発展に寄与しようとするものである。

もとより、発明それ自体は社会の共有財産であり、これをいつまでも個人の専有に委ねていれば、かえって産業の発達を阻害することにもなりかねないから、特許法は、一定期間に限り発明に法的保護を与えるとともに、右期間の経過後は一般の自由利用に委ねることにより、調和を図っているのである。したがって、特許権にいかなる程度の法的保護を付与するかは、専ら「産業の発達」にとっていかなる内容が望ましいかという観点から決せられるべきものであり、特許権に内在するものとしてアプリオリに確定しているものではないから、特許権に基づく差止請求権についても、「発明の保護」と「発明の利用」という二つの観点に照らし、それが特許法の求める目的に合致するか否かに基づいて判断されるべきである。

(二) 確かに、本件で原告が差止めを求めるのは、本件特許権の存続期間満了後における被告らの販売行為であるし、被告らがした侵害行為(本件試験)は、右存続期間中の原告の経済的利益そのものを害するものではない。しかしながら、被告らは、本件存続期間満了後に着手すべき後発医薬品発売のための準備行為につき、存続期間満了に合わせて二年六か月以上前からいわばフライングスタートを切っているのであって、このまま推移すれば、被告らが侵害行為をしていなければ得られたであろう存続期間満了後約二年六か月間の原告の独占的利益が侵害されることは明らかである。かかる特許権侵害行為(フライングスタート)に対しては、侵害行為がなかった状態、すなわち存続期間満了後からスタートした状態に戻させることが最も有効かつ合理的であるから、特許権侵害行為がなかった状態に戻すため、平成一〇年七月二一日までの間の被告製剤の販売差止めが認められるべきなのである。

このような場合に差止請求を認めないとすれば、被告らの特許権侵害行為を追認する結果になり、事実上被告らは違法行為のやり得となり、シェア争いに極めて有利な地位に立つことができる一方、原告は事後の損害賠償では到底回復しえない有形、無形の測り難い損害を被ることになる。

(三) もし、特許権の存続期間中に侵害行為が行われても、存続期間が満了してしまうと特許権者であった者は一切差止請求ができないとすれば、同種の侵害行為に対し、存続期間満了の前後で救済内容に不均衡が生じ、「発明の保護」としては不十分となる状況が生じる。

すなわち、特許権の存続期間満了前に侵害行為が発見された場合は、特許法一〇〇条に基づき、製造販売の差止め及び侵害行為を組成したものの廃棄、侵害の行為に供した設備の除却その他侵害の予防に必要な行為を請求することができる結果、行為者は、存続期間満了後少なくとも二年六か月間は医薬品としての販売を行えないことになるのに対し、存続期間満了後に侵害行為が発見された場合は、行為者は、製造販売に何らの制約を受けることなく、自由に販売競争に参入し、いち早くシェアを確保することができるのである。のみならず、存続期間満了後に差止請求権が消滅するとすれば、仮に特許権者が存続期間満了前に侵害行為を発見してその差止請求訴訟を提起することができたとしても、存続期間満了まで訴訟を遅延させられれば差止請求権が消滅してしまう結果、行為者は期間満了と同時に発売が可能になるという不合理な結論を生じることになる。

この点に関して、被告東和薬品が特許権の存続期間は絶対的な期間であり、民法七二四条後段の二〇年の定め(除斥期間)と同じであるとする趣旨は必ずしも明らかではないが、民法七二四条後段は、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものであり(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九号)、法律関係の確定のためまさに請求権の扱いに差を生じさせるための規定であるのに対し、特許権の存続期間は、被告東和薬品もいう「発明の保護と第三者の営業活動の自由との調和」を図るためにその期間につき特許権の独占的実施権を認めるためのものにすぎず、特許権侵害による効果としての請求権の扱いに差を生じさせるためのものではない。そもそも民法七二四条後段と特許権の存続期間とは、規定の趣旨、内容が全く異なることからして、同列に論じることはできないのである。

(四) 本件において、原告は、後発医薬品会社の製造承認の取得によって初めて侵害者を特定することができたのであって(甲一三の1・2)、被告らは、原告に察知されないよう秘密裡に本件試験を行い、製造承認申請をしていたのである。原告はその間存続期間中に侵害者を特定するべく厚生省に製造承認申請者の開示を求めたり(守秘義務を理由に開示を拒まれた)、業界紙に特許権侵害の警告文を掲載するなど可能な限り権利保全に努めてきたのであって、権利の上に眠っていたわけではない。このように、自ら秘密裡に侵害行為を行ってきた被告らが、たまたま存続期間中に発見されなかったことを奇貨として、本件特許権が存続期間満了により消滅したことを理由として差止請求権が認められないとの主張をすることは、クリーンハンドの原則や信義則に照らし到底認められない。

(五) また、存続期間満了後の被告らの販売行為の差止めが認められないとすれば、本件特許権の存続期間中から本件特許発明を利用し、販売のために着々と準備を進め、既にフライングスタートを切っている被告らは、特許法を遵守し、存続期間満了後から本件特許発明を利用しようとする善良な後発医薬品会社に対し極めて有利な立場に立つことができるという不公平なことになり、その結果、右善良な後発医薬品会社の発明を利用する意欲や機会を失わせることになり、公正な「発明の利用」が阻害され、フライングスタートを切った後発医薬品会社の市場独占を招くこととなり、「発明の利用」が害されるのである。

被告東和薬品は、発明の自由利用が特許権の存続期間満了後更に二年六か月間できないとすれば、それこそ「発明の利用」が害され、特許法の趣旨に反する旨主張するが、原告は存続期間満了後も、本件特許発明の利用を二年六か月間してはならないなどと主張するものではない。原告が求めているのは、存続期間中の特許権侵害行為により得られた成果を利用して得た製造承認に基づく製品の販売行為の禁止だけにすぎない。

(六) 被告東和薬品は、原告の主張に従えば法の定めなく特許権の存続期間が延長されることになる旨主張するが、原告が求めているのは平成一〇年七月二一日までの販売行為の差止めのみであり、その他の試験・研究や製造行為までも差し止めようとするものではない。原告は、特許権者として、被告らが本件特許権の存続期間中に侵害行為を行ってフライングスタートを切ったことに対し、その侵害行為がなかった状態に戻し、正規のスタートラインに並ぶように主張しているだけであり、これは、いわば存続期間満了後の特許権の余後効力に基づく請求ともいうべきものである。

2 不法行為の効果としての差止請求(予備的請求)

仮に、被告製剤の販売について本件特許権に基づく差止請求が認められないとしても、以下のとおり、原告は、被告らの特許権侵害という不法行為によって著しく利益を損なわれるのであるから、その差止めが認められるべきである。

(一) 本件特許権自体は存続期間満了によりもはや存在していないが、本件特許発明は、薬事法の規制を受ける医薬品を対象とするものであるから、原告は存続期間満了後も少なくとも二年六か月間は、後発医薬品会社の参入を受けず、市場を独占できるという利益を有している。しかるに、被告らは、本件特許権の存続期間中に本件試験を行い、その成果に基づいて製造承認を取得し、存続期間の満了を待って市場に参入したのであって、正規にスタートする者よりもいち早く販売を開始し、シェアを拡大し利益を上げようとの意図に基づくまさに違法なフライングスタートを行ったものというほかはない。被告製剤の販売行為は、存続期間満了後のことであるから形式的には本件特許権そのものに触れるところはないが、それに至る準備段階はまさに違法な特許権侵害そのものであって、製造承認を得るための本件試験及びその成果を得て行った製造承認申請は、いずれも違法である。被告らの販売行為は、その総仕上げというべきものであり、それだけを取り上げて云々するのは木を見て森を見ずの類であって、まさに侵害行為と表裏一体の関係にある違法行為そのものなのである。

被告らが本件特許権の侵害行為である本件試験を行わず、存続期間満了後に初めて本件特許発明の実施行為をしていれば、少なくとも平成一〇年七月二一日までは被告製剤の製造販売はできなかったのであり、原告の請求は、まさに被告らが適法に行動していれば占めたであろう法的立場に立つことを求めるものにほかならない。特許権の存続期間満了前には原告には被告らによる被告製剤の製造承認申請の有無は分からないのであるから、少なくとも不法行為の効果として、本件試験の結果である被告製剤の製造販売の差止めが認められなければ、著しく正義に反する結果となる。

(二) ところで、民法七二二条一項が準用する同法四一七条が「損害賠償ハ別段ノ意思表示ナキトキハ金銭ヲ以テ其金額ヲ定ム」と規定していることから、不法行為の効果として差止請求は認められず、何らかの「権利」が侵害された場合に限りその効果として差止請求が認められるとの考え方がある。

しかしながら、ボアソナードや現行民法の起草者は、損害賠償の方法は絶対に金銭賠償の方法でなければならないと考えたわけではなく、比較法的にも不法行為の効果として差止めを認めるものがほとんどである。我が国においても、不法行為の効果としての差止めを認める裁判例も多い(大阪地裁堺支部昭和五二年四月七日決定・判例時報八六一号五四頁、仙台地裁昭和四九年七月二〇日判決・判例時報七六八号八〇頁等)。

確かに、民法上、不法行為による被害者の救済としては金銭賠償が本則とされているが、不法行為の救済は本来原状回復を目的とするものであり、その原状回復の方法としては多くの場合金銭賠償がより合理的であるためこれが本則とされているだけのことであって、差止めにより当該損害の発生そのものを未然に防止することができればそれに越したことはなく、事後の金銭賠償より遙かに適切な場合も少なくない。もちろん、差止めは相手方の行為を規制するものであるから、時に相手方の死命を制するような極めて重大な結果を招くものであり、社会的な影響も無視しえないことに鑑みると、厳格な要件が求められることは当然である。したがって、差止めが認められるためには、差止めによって保護されるべき必要かつ十分な利益がある場合であって、差止めを認める必要性、特に侵害の態様や差止めによって得られる利益と差し止められることによって被る相手方の不利益との比較衡量、社会的な影響等の様々な要素が考慮されるべきである。

原告製剤の年間売上高は平成六年度で約二三八億円、平成七年度で約二四五億円であるところ、被告らが低価格の被告製剤を販売すれば、これまでのシェアの維持は到底望みがたく、原告の右売上高が激減することは明らかであり、原告の今後の企業活動に与える影響は計り知れないものがある。のみならず、たとえ事後的に損害賠償請求が認められたとしても、その予想される賠償額からすれば、果たして満足に金銭賠償を得られるかどうかも不明である。これに対し、被告らは差止めによってその得べかりし利益を失うとしても、右利益は、原告の本件特許権を侵害することによってもたらされたものであり、およそ法的保護に値するものではない。のみならず、被告らがこれまでに投資した費用は、極めて僅かなものであり、原告の被る損害に比べるべくもないのであって、しかもその投資額の全てが無為に帰するものでもないのである。

【被告共和薬品工業らの主張】

仮に本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造が違法であるとしても、差止請求は全く理由がない。

1 特許権に基づく差止請求について

(一) 本件特許権は、平成八年一月二一日に既に存続期間満了により消滅しているから、特許権に基づく差止請求権など成立するはずがなく、特許権に基づく差止請求をすること自体矛盾撞着を免れない。原告の主張は、要するに、本件特許権の存続期間中に被告らが行った本件特許発明の実施準備行為である本件試験が本件特許権を侵害するものであるから、それに依拠した存続期間満了後の実施行為も違法とされるべきである、というだけのことであり、何ら特許権に基づく差止請求の理由を開陳したものではない。

(二) 存続期間満了前に被告らがどのような行為を行っていようと、存続期間満了後に差止請求権(物権的請求権)が消滅することに何らの影響を及ぼすものではない。

存続期間満了後は何人も実施が自由であることは例外のない原則である。もし、原告主張のように存続期間中の実施行為が違法であるからその満了後も差止めが認められるというのであれば、存続期間中に準備行為ではなく製造販売そのものを行っていた場合は、準備行為以上に違法性の度合いが高いはずであるから、存続期間満了後も引き続き製造販売を違法としてその差止めを認めなければ首尾一貫しないであろうが、かかる法理が通用するはずはない(侵害訴訟の実務でも、訴訟係属中に存続期間が満了すれば、差止請求は取り下げられるのが通例である)。

(三) 特許権は、物権的な権利であるから、その権利の内容や限界は明確にされていなければならないところ、期間が有限である物権的権利につき存続期間満了後もなおその物権的権利が行使できるなどとすることは、物権法定主義(民法一七五条)の大原則からしても到底採りえない議論である。

2 不法行為に基づく差止請求について

原告は、仮に被告製剤の販売について本件特許権に基づく差止請求が認められないとしても、被告らの特許権侵害という不法行為によって著しく利益を損なわれるのであるから、その差止めが認められるべきであると主張する。

しかし、特許権に基づく差止請求が認められないのは、特許権が存在しないからであり、特許権が存在しないところに特許権侵害という不法行為が成立するはずはないから、右主張はそれ自体失当である。

【被告東和薬品の主張】

1 特許権に基づく差止請求について

(一) 本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、形式的には、本件特許権の侵害を構成することは否定しがたいが、その故をもって直ちに特許権者による差止請求を認めるべきであるということにはならない。

特許制度は、発明者(特許権者)に独占的な実施権を与えて市場独占による経済的な利益を得させることで、発明の奨励を行おうとするものであるが、その独占期間は限定されており、その期間経過後は第三者に当該発明の自由な利用を許すことが前提になっている。

特許権者に与えられる独占的実施権(特許法六八条)やこれを実効あらしめるための差止請求権(一〇〇条)も、結局は、特許権の存続期間中に特許権者が特許発明を独占して経済的な利益を得ることを認めるための手段として法定されたものであり、それ自体自然法に由来する絶対的なものではなく、したがって、たとえ特許権の存続期間中に形式的に侵害を構成する行為があっても、存続期間中は特許権者が独占している市場に出ないことが明らかであって、特許権者の経済的利益は全く害されないのであるから、特許権者に差止請求権を認めるべき理由も必要性も全く存しない。

原告の主張は、発明の保護を強調するあまり、特許制度が発明の保護と第三者の営業活動の自由との調和の上に成立していることを全く無視するものである。

そもそも差止請求権は、特許法固有のものではなく、民法一九八条等の物権的請求権や人格権を根拠に、生活侵害等の場合に被害者の利益侵害を予防する手段として認められている。その際には、権利侵害があれば直ちに差止請求が認められるというわけではなく、差止請求者と被請求者の利益を詳細に検討して差止請求を認めるか否かの判断が行われるのであり、人格的利益の侵害があっても、利益衡量の結果それが受忍限度内であるとして差止請求が認められないことがある(最高裁平成六年三月二四日判決・判例時報一五〇一号九七頁参照)。この理は、差止請求権が法定されている特許権の場合に直ちに当てはまるものではないが、差止請求を認めるか否かに当たって、形式的ではなく実質的に検討すべきであることには変わりがなく、特許法が保護している特許権者の経済的な利益に何らの被害もない場合に特許権者の差止請求を認めるべき理由はない。

(二) 特許権は、その存続期間の満了とともに消滅するから、存続期間の満了後に第三者の行為を差し止めることができないのは自明のことである。ある特許権を根拠に製造販売を禁止する仮処分命令が出されても、その特許権の存続期間が満了すれば仮処分命令が取り消されるのはそのためである。原告は、特許権の存続期間中になされた侵害行為から派生した行為であるとの理由で、存続期間満了後の第三者の販売行為を差し止めることができる旨主張するが、もしそうだとすれば、右の例においては、仮処分命令は取り消されないことになるところ、そのような結論が妥当ではないことはいうまでもない(東京地裁平成五年九月二九日判決も、仮処分命令により執行官保管がされている医薬品について、特許権の存続期間中に廃棄請求権が確定しているとの理由でその満了後も執行官保管の命令は取り消されるべきではないとする特許権者の主張に対し、「特許権の存続期間が満了した場合、同条〔特許法一〇〇条〕一項所定の侵害停止請求権又は侵害予防請求権は消滅し、これを行使する余地はないのであるから、同条二項所定の廃棄請求権等を行使することができないのみならず、期間満了前に侵害の行為を組成したものであっても、期間満了後は当該特許権を侵害するおそれはないのであるから、『侵害の予防に必要な行為』としてその廃棄等を請求することはできないというべきである」と判示している。この判決は、控訴審でも維持されている)。

(三) 製造承認を受ける必要から商品販売の開始が遅れて他の分野の特許権と権衡を失している医薬品や農薬については、存続期間の延長登録制度によって侵食現象の解消が図られたのであり、本件特許権がその恩恵に浴さないとしても、それはやむを得ないことであり、本件特許権の存続期間が満了した時点以降の利益の確保を請求することは、法の認めない利益の享受を求めているに外ならない。しかも、医薬品でなければ、後発の会社は特許権の存続期間の満了日の翌日から全く自由に販売することができるのに、医薬品については、後発医薬品も製造承認を得ることが不可欠であるため、製造承認を得るまでの期間販売することができないとすれば、事実上特許権者による市場独占期間が延び、法の定めなく存続期間が延長され、第三者の行為が制限されることになる。

のみならず、仮に存続期間満了後直ちに製造承認がなされたとしても、健康保険の対象医薬品として販売するためには薬価の追補に収載されることが必要であり、それが毎年七月に一回しか行われないから(具体的には、本件七月に薬価収載されるためには三月一四日までに製造承認されていなくてはならず、それ以降に製造承認された場合には、来年七月の収載まで待たなければならない)、実際に製造販売できるのは更に先のことになり、その結果、特許権者である原告の市場独占の利益は、本来の特許権存続期間はもちろん、更に四か月ないし一年四か月もの間、完全に守られるのである。これ以上に、更に二年六か月以上の市場独占の利益を原告に与えるべき理由は全くない。

しかも、特許権の存続期間中の試験が形式的に特許権侵害を構成するとの理由で裁判所が差止めを認めれば、厚生省が特許権の存続期間中の承認申請を認めないとする扱いをするのは必定であり、結局、今後特許権の存続期間が満了する医薬品について、後発医薬品の市場参入が少なくとも約二年六か月は遅れることになり、それだけ、優れた特許発明にかかる医薬品が安価で広く入手可能となることが妨げられ、国民全体の健康はもとより、危機に瀕している健康保険財政にも多大の悪影響を及ぼすこととなる。

(四) 原告は、存続期間満了の前後で救済内容に不均衡が生じるというが、およそ期間の定めのあるものは、すべてその期間満了の前後で扱いに差が生じるのは当然のことである。例えば、不法行為の消滅時効(民法七二四条前段)の期間のように「損害及び加害者を知りたる時より三年」という規定であれば、原告のいうように「侵害者」を特定してから権利行使することが可能であるが、特許権の存続期間は、絶対的な期間であり、民法七二四条後段の二〇年の定め(除斥期間)と同じである。除斥期間の満了の前後で扱いに差が生じたり、あるいは除斥期間の満了までに権利を行使することが不可能であったとしても、それは絶対的な期間を定めた趣旨からはやむを得ないことである。

(五) 更に、原告は、差止請求が認められなければ「発明の利用」が害されるというが、特許権の存続期間の満了を待って発明の自由利用が可能になるのは原告も主張するとおりであり、それが更に二年六か月間できないとすれば、それこそ「発明の利用」が害され、特許法の趣旨に反する。

2 不法行為に基づく差止請求について

(一) 原告は、被告らの特許権侵害という不法行為によって著しく利益を損なわれるのであるから、その差止めが認められるべきである旨主張する。

しかしながら、原告は、本件特許権の本来の存続期間中に独占的に実施できる利益を有するのみであり、その期間満了後には保護されるべき原告の利益は存在しない。そして、仮に本件特許権の存続期間中に製造承認を得るに必要な本件試験を行うことが違法であるとしても、既に存続期間が満了して第三者の行為を何ら制限できなくなれば、本件特許権を根拠に第三者の販売行為を違法とすることはできないのである。

被告らが本件特許権の存続期間満了後製造承認を得るのに二年六か月を要すればなおその期間は市場を独占できるというのは、医薬品の製造承認に日時がかかることによる原告の反射的利益にすぎず、それは権利として保護されるようなものではないのである。

(二) 原告は、原告による警告の存在を知っていた被告らが本件特許権の存続期間満了を理由に差止請求権がないと主張するのは信義則上許されないなどと主張するが、原告が主張するように特許権の存続期間満了後にしか後発医薬品の製造承認を得るのに必要な行為ができず、被告らが二年六か月間その製造販売ができないとすれば、医薬品の特許に限って二年六か月もの間特許権の存続期間が延長されたのと等しいことになる。

厚生省は、事務連絡(丙一)により、医薬品の特許権の存続期間中にその満了を見込んで後発医薬品の製造承認申請を行うことを認めており、実際の製造承認は特許権の存続期間が満了してから行うこととしている。医薬品の製造承認を得るのに日時がかかることを前提としたとき、右の厚生省の取扱いこそが特許権の存続期間が事実上大幅に延長することを防止し、特許権者と第三者との利害を最も妥当に調整するものである。これに従うことを法軽視的な態度であるということはできないから、不法行為に基づく差止請求権を認めるべき理由はない。

三  争点2(被告らに損害賠償責任が認められる場合に、原告に対し賠償すべき損害の額)について

【原告の主張】

被告らには本件特許権の侵害につき故意があったから、原告は被告らに対し、少なくとも本件特許発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額(実施料相当額)を、原告が受けた損害の額としてその賠償を請求することができる(特許法一〇二条二項)。その額は、以下のとおりの計算により算出されるところの、①本件特許権の侵害により前倒しで製造販売が可能になった存続期間満了後二年六か月間の被告製剤の製造販売額と②本件特許権の存続期間中における本件試験のために製造された被告製剤の製造販売相当額との合計額の一〇%相当額となる。

1 本件特許権の存続期間満了後二年六か月間の被告製剤の製造販売額

(一) 薬価基準により算出した被告製剤の販売額

被告製剤は、すべて病院、診療所、調剤薬局を通じて患者に供給される医家向け医薬品であって、販売ルートとしては、医薬品問屋を経由して販売される場合と、製薬会社から直接病院等に販売される場合とがある。このうち主要な医薬品問屋を経由して販売された医薬品については、薬価基準を基に計算された一か月ごとの販売額の合計の概数(実販売価格である実勢価格に基づくものではない)が、アイ・エム・エス・ジャパン株式会社発行の統計誌「医薬品市場統計」に掲載されている(製薬会社から直接病院等に販売されるものは含まれないから、実際の販売額よりもかなり少ない)。

右「医薬品市場統計」(甲二四ないし三一)によれば、平成八年七月から平成九年二月までの八か月間の各被告ごとの薬価基準による販売額は、次のとおりである。

被告共和薬品工業 三〇〇万円

被告長生堂製薬 四九四〇万円

被告辰巳化学 六〇万円

被告大正薬品工業 五三〇万円

被告大原薬品工業 二二八〇万円

なお、被告小林化工及び被告東和薬品については、「医薬品市場統計」に記載がないので、全量を直接病院等に販売していると思われるが、他の被告らの販売額から推定して右八か月間の販売額は六〇万円を下らない。

(二) 実勢価格の対薬価基準比率

被告製剤のような後発医薬品については、一般に薬価基準よりかなり低い価格で販売されるのが実態であり、この実勢価格は、各社ごとに、また販売先によっても異なるため、正確な把握は困難である。

ところで、厚生省では、薬価基準の改定のため定期的に医薬品の実勢価格を調査しており、平成九年四月の薬価基準改定の際は、当該医薬品の医療機関への納入価格(実勢価格)の加重平均に1.048を乗じて得たものに、同品の旧薬価基準の一定割合(原告製剤の後発医薬品の場合一〇%)を加えたものを新薬価基準(消費税相当額を除く)とすることとした(甲三二)。

しかして、原告製剤の後発医薬品の平成九年四月からの薬価基準は八〇円九〇銭とされており、旧薬価基準が一三四円七〇銭であったから、逆算すれば新薬価基準の計算の基礎とされた後発医薬品の医療機関への納入価格(実勢価格)の加重平均は一錠当たり六四円三四銭となる(消費税相当額を除く。(80円90銭−134円70銭×0.1)÷1.048=64円34銭)。

更に、右の六四円三四銭には、卸問屋を通す際のマージンが含まれているから、これを控除する必要があるところ、社団法人日本医薬品卸業連合会が公表した平成八年度の資料(甲三三)によれば、医薬品卸の平均的なマージン率は11.14%であり、本件の場合も平均的なマージン率はこれを超えないものといえる。そこで、六四円三四銭からマージン率11.14%相当額を控除すれば、五七円一七銭となり、その薬価基準(一三四円七〇銭)に対する比率は42.4%となる。

(三) 実勢価格による販売額

平成八年七月から平成九年二月までの八か月間における被告製剤の実勢価格による販売額は、前記(一)の薬価基準により算出した被告製剤の販売額に右(二)の対薬価基準比率42.4%を乗じて得た次の上段の金額であり、この額を基準に二年六か月分の実勢価格による販売額を算出すると、下段の金額となる。

被告共和薬品工業 一二七万二〇〇〇円    四七七万円

被告小林化工   二五万四四〇〇円  九五万四〇〇〇円

被告長生堂製薬 二〇九四万五六〇〇円 七八五四万六〇〇〇円

被告辰巳化学   二五万四四〇〇円  九五万四〇〇〇円

被告大正薬品工業 二二四万七二〇〇円 八四二万七〇〇〇円

被告大原薬品工業 九九六万七二〇〇円 三七三七万七〇〇〇円

被告東和薬品   二五万四四〇〇円  九五万四〇〇〇円

2 本件特許権の存続期間中における本件試験のために製造された被告製剤の製造販売相当額

被告製剤の製造承認申請を行うためには、次のとおり少なくとも一三六六錠(一錠当たり一〇〇mgとする)の被告製剤が必要となる。

① 規格に関する試験

製造承認申請のために必要な規格試験としては、製剤につき三ロットから一検体ずつ採取し、各検体より三試料を採取し、確認試験、製剤試験、定量法等の試験を行う必要があるが、これらの試験を一とおり行うためには最低三〇錠を要するから、最低でも二七〇錠を要することになる(三〇錠×三ロット×三試料=二七〇錠)。

② 加速試験

加速試験としては、製剤につき保存条件ごとに三ロットから一検体ずつ採取し、各検体より三試料を採取し、保存により影響を受けやすい項目及びその他安定性を評価するために有効な事項につき、試験開始時を含め四時点以上試験を行うことが要求されている(甲三)。保存により影響の受けやすい項目及びその他安定性を評価するために有効な事項につき一とおりの試験を行うためには最低三〇錠を要するとされているので、最低でも一〇八〇錠を要することになる(三〇錠×三ロット×三試料×四時点=一〇八〇錠)。

③ 生物学的同等性に関する試験

生物学的同等性試験の例数については、特に定められていないものの、血中濃度の比較を行うためには、最低でも八例は行う必要がある。被告製剤の一回の投与量は二〇〇mg(二錠)であるので、最低でも一六錠を要することになる(二錠×八例=一六錠)。

このように、本件試験に要した被告製剤は、①ないし③の合計一三六六錠であり、これに被告らが本件試験を行った本件特許権の存続期間中の原告製剤の薬価(平成二年四月一日から平成八年三月三一日までの間)金一七三円を乗じた二三万三六一八円が製造販売相当額となる。

3 被告製剤の製造販売額総額

したがって、本件特許権の存続期間満了後二年六か月の被告製剤の製造販売額と存続期間中における本件試験のために製造された被告製剤の製造販売相当額との合計額は、次のとおりである。

被告共和薬品工業 五〇〇万六三一八円

被告小林化工 一一九万〇三一八円

被告長生堂製薬 七八七八万二三一八円

被告辰巳化学 一一九万〇三一八円

被告大正薬品工業 八六六万三三一八円

被告大原薬品工業 三七六一万三三一八円

被告東和薬品 一一九万〇三一八円

4 実施料相当額

医薬品業界において、新薬の特許発明について非独占的な実施権を付与するとすれば、その実施料率は少なくとも製造販売額の一〇%とするのが通例である。

社団法人発明協会発行の「実施料率」は、医薬品・その他の化学製品の実施料率の平均を五ないし六%としているが(甲三四)、この中には製品化に至っていない化合物や実施料率が医薬品に比べてかなり低い油脂加工製品・石鹸等も含まれており、本件のような例で実際に用いられる可能性のある実施料率を示しているものではない。

したがって、原告が被告らに賠償を請求できる実施料相当額は、それぞれ右3の被告製剤の製造販売額総額に一〇%を乗じた次のとおりの金額となる。

被告共和薬品工業 五〇万〇六三一円

被告小林化工 一一万九〇三一円

被告長生堂製薬 七八七万八二三一円

被告辰巳化学 一一万九〇三一円

被告大正薬品工業 八六万六三三一円

被告大原薬品工業 三七六万一三三一円

被告東和薬品 一一万九〇三一円

なお、原告は、本件特許権の存続期間中に実施権の許諾を求められたとすれば存続期間満了後二年六か月間に被告らが得られるであろう経済的利益をも考慮して実施料率を決定することになるのであるから、未だ右二年六か月後の平成一〇年七月二一日が到来していないからといって、被告共和薬品工業らのいう「将来の損害」の請求との批判は当たらない。

【被告共和薬品工業らの主張】

1 【原告の主張】のうち、次の(一)及び(二)の点は認めるが、その余はすべて争う。

(一) 1(一)のうち、平成八年七月から平成九年二月までの八か月間の各被告ごとの薬価基準による販売額についての「医薬品市場統計」の記載が、原告主張のとおりであること。

(二) 2のうち、被告らが本件試験のために被告製剤一三六六錠(メシル酸カモスタットとして合計約一四〇g、一錠当たり一〇〇mg)を使用したこと。

2 原告は、本件特許権の存続期間満了後二年六か月間(平成八年一月二二日から平成一〇年七月二一日まで)の被告製剤の製造販売行為(以下「満了後行為」という)と存続期間中における本件試験のための製造、使用行為(以下「期間中行為」という)についてそれぞれ実施料相当額の損害賠償を請求するが、以下のとおり、いずれも失当である。

(一) 満了後行為について

(1) 原告が被告らの満了後行為について損害賠償請求をするという根拠は、満了後行為自体が原告に対する権利侵害であるというのではなく、期間中行為が特許権侵害であるから、という主張と解される。被告らの満了後行為によって原告の主張する損害が生じるというためには、存続期間満了後においても原告が市場を独占できる法的利益(地位)を有することを要するところ、原告は、被告らの満了後行為によって原告のいかなる法的利益が侵害されたというのか、何ら明らかにしないから、主張自体成り立たない(満了後行為自体に違法性のないことは前記のとおりである)。

(2) ところで、製造承認申請をしてから製造承認がされるまでの標準的事務処理期間は、行政手続法六条にいう「標準処理期間」であって、この期間は短ければ短いほど望ましいというのが法の趣旨である。後発医薬品は、各社において、先発医薬品と剤型、薬効成分及びその量、用法、用量、適応症が同一であるという生物学的に同等であることの証明試験、製剤の安定性を調べる加速試験も六ないし九か月をかけて実施しているから、製造承認申請書に添付されたデータをチェックすることで審査を完了できるのであり、その処理期間としては本来せいぜい三か月もあれば足りるであろうが、事務処理件数が多いせいか、現在のところ約一年半ないし二年となっている。この期間の長期化は本来避けるべきであるから、先発医薬品に特許がある場合には、約二年という標準的事務処理期間を見込んで、特許権の存続期間中に製造承認申請をしても差し支えないが、承認は存続期間満了後に行うこととされているのである。

原告は、この標準的事務処理期間の趣旨を無視して、存続期間満了後もこの事実上長期化した処理期間に対応する期間、特許権の存続期間が延長されるとして損害賠償を請求しているのである。

(3) 満了後行為は、市場に提供する商品として製造され、製造承認申請、製造承認などを経ることによって初めて許容され、可能になるものであり、製造承認申請の準備としてなされ、その製剤は本件試験に使用されるのみで市販されることはない期間中行為とは、およそ異なるものである。

(4) 原告は、満了後行為について、特許法一〇二条二項を援用して実施料相当額を算出しているが、存続期間満了後は特許権は存在しないのであるから、理由がない。

また、現時点から平成一〇年七月二一日までの「将来の損害」を仮定して損害賠償請求をしているのも、法的根拠がない。

原告は、平成八年七月から平成九年二月までの八か月間における被告製剤の販売額を基準に、存続期間満了日の翌日たる平成八年一月二二日から二年六か月分の損害額を計算しているが、被告製剤の薬価基準収載は同年七月であって、それ以前に被告製剤を市販したことはないから、同年一月から六月までの分の請求は失当である。

(二) 期間中行為について

(1) 期間中行為に使用した被告製剤は、市販を予定していないものであって、現に本件試験にのみ使用され、市場において原告製剤と競合関係に立つことは全くなかったから、これによって生じる原告の損害は皆無である。

(2) 原告は、期間中行為による損害額として、特許法一〇二条二項を援用して、存続期間中の原告製剤の薬価による販売額を基準に、その一〇%の実施料相当額を主張するが、元来、特許法は市場(産業)での競争原理を定めたもので(一条)、「業としての実施」(六八条)とは市場への提供を前提としているのであるから、前記のとおり販売されたことのない本件試験用の被告製剤に当時の原告製剤の薬価による販売額を基準として損害額を計算することはできない。

【被告東和薬品の主張】

1 【原告の主張】1の主張は、(一)の薬価基準により算出した被告製剤の販売額、(二)の第一、第二段及び(三)の実勢価格による販売額は認め、その余は争う。

2 同2の主張は争う。

本件試験に必要な錠剤は、もっと少ない。また、被告製剤の製造販売額相当額を算出するのに、原告製造の薬価を乗じて計算するのは理由がない。

第四  争点1(一)(薬事法に基づく製造承認を得るために必要な資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤を製造、使用して行う本件試験は、本件特許権を侵害するものであるか)、及び争点1(二)(本件特許権の存続期間満了後に、本件特許権又は不法行為に基づき、本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤の販売を差し止めることができるか)に対する当裁判所の判断

一1 被告らは、前記第二の一4のとおり、本件特許発明の技術的範囲に属する被告製剤について薬事法一四条に基づく製造承認申請書に添付する資料を調える目的で、本件特許権の存続期間中に、被告製剤を必要量(その量が一三六六錠であることは、原告と被告共和薬品工業らとの間では争いがなく、原告との被告東和薬品との間では、弁論の全趣旨により認められる)製造し、これを使用して本件試験、すなわち、規格に関する試験、加速試験及び生物学的同等性に関する試験を行い、本件試験によって得た資料を添付して被告製剤の製造承認申請をしたものであるところ、被告らによる本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、右のとおり薬事法一四条に基づく製造承認申請書に添付する資料を調える目的で行ったものであり、現実に市場で販売するのは本件特許権の存続期間満了後になるとはいえ、被告製剤を市場で販売するための準備行為として行われたものであることが明らかであり、まさに被告らの事業活動の一環としてなされたものであるから、特許法六八条にいう「業として」の特許発明の実施に該当するといわざるをえない。

2 被告共和薬品工業らは、本件試験が特許法六八条にいう「業として」の特許発明の実施に該当することを争い、その理由として、本件試験のような後発医薬品の製造承認申請のための準備行為は、それにより特許権者に何らの損害も与えないものであり、市場競争に参入するものではなく、この点において個人的、家庭的な実施と変わるところがなく、しかも、それ自体利益を得ることを目的としたものではなく、将来の「業としての実施」に備えて必要とされる行政目的上の行為にすぎない旨主張するが、被告らによる本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、右のとおり現実に市場で販売するのは本件特許権の存続期間満了後になるとはいえ、被告製剤を市場で販売するための準備行為として、被告らの事業活動の一環としてなされたものであるから、これを個人的、家庭的な実施と同列に論ずることはできず、それ自体は特許権者たる原告に何らの損害も与えず、利益を得ることを目的としたものではないとしても、「業として」の実施であることを否定することはできない。

被告共和薬品工業らは、本件試験が「業としての実施」に該当しないことは特許法六七条二項及び改正法附則五条二項の規定から明らかである旨主張する。しかし、右六七条二項は、同条項にいう「特許発明の実施」が本件試験のような医薬品の製造承認申請のための試験による使用及びそのための製造を含まないことは規定自体から明かであって、二条三項一号と相まって特許権者が専有する権利の範囲を定めた六八条とはその立法趣旨を異にするものであり、また、改正法附則五条二項それ自体は、前記解釈の妨げとなるものではない。

二  そこで、本件試験は特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するから本件特許権の効力は及ばない旨の被告共和薬品工業らの主張について、判断する。

1 特許法六八条は、特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有すると定めて、特許権者に特許発明の実施を独占することを認めているが、特許法は、「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」とし(一条)、特許権者による特許発明の実施の独占を一定期間に限って認めることにより、発明を奨励するとともに、その発明を社会に公開させて社会一般の技術水準の向上を図り、一定期間経過後は万人がこれを自由に利用することを認め、もって「産業の発達に寄与すること」を目的とするものであるから、特許権者の特許発明の実施の独占による利益は、社会一般の利益による制約を免れないところである。

しかして、特許法六九条一項は、「試験又は研究のためにする特許発明の実施」には特許権の効力が及ばない旨規定し、右の「試験又は研究」の内容、種類については何ら限定を付していないところ、右規定は、特許権の効力を試験又は研究のためにする特許発明の実施にまで及ぼすことは、かえって技術の進歩を阻害し、産業の発達の妨げになるため、これを制限すべきであるとの産業政策上の判断に基づくものと解され、特許権者の特許発明の実施の独占による利益と社会一般の利益との調和を具体化した一場面を定めたものと解されるから、同条項にいう「試験又は研究」も、かかる観点から解釈されるべきである。

一般に、試験研究として行われる特許発明の実施は、その性質上、特許権者と直接競業する形態で行われるものではなく、特許権者の経済的利益を直接害するものではないことに鑑みると、右「試験又は研究」は、特許発明にかかる技術を改良し、更に発展させることを目的とするような試験研究に限るのは相当でなく、例えば、特許発明の技術内容を確認ないし理解すること(機能性調査)を目的として行われる試験研究は、公開された発明の技術内容が当業者に理解されることを前提としている特許法の趣旨からしてこれに該当すると解すべきであるし、従来技術と対比して新規性、進歩性があるか否かを確認すること(特許性調査)を目的として行われる試験研究も、特許の要件が備わっていないのに誤って付与された特許について特許異議の申立てや無効審判請求の制度を設けている特許法の趣旨に合致するものであるから、右「試験又は研究」に該当すると解すべきである。

2  更に、本件試験のような薬事法に基づく(後発)医薬品の製造承認申請のための試験が右「試験又は研究」に該当するかについて、検討する。

(一)  薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品等の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とするもので(一条)、医薬品を製造するには、厚生大臣の承認を受けることを要するものとし(一二条一項、一三条一項、一四条一項)、右承認は、申請にかかる医薬品の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等を審査して行うものであり(一四条二項)、そのため、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)としている。本件試験は、右のとおり薬事法に基づく製造承認の申請書に添付することが要求されている資料を得るために行われたものであるから、被告製剤の製造を薬事法上可能にすることを主たる目的として行われたことは否定することができない。

しかしながら、そのことだけで直ちに前記「試験又は研究」に該当しないとするのは相当でなく、前記特許法の趣旨に照らし、特許発明の実施により特許権者の被る不利益と社会一般の利益との調和を勘案しつつ、具体的に検討する必要がある。

(二) 被告製剤が原告製剤の後発医薬品であることから、その製造承認の申請書には、前記第二の一(基礎となる事実)3記載の資料を添付することが要求され(薬事法施行規則一八条の三、甲三、乙三)、そのために被告らが行った本件試験、すなわち(1)規格試験、(2)加速試験、(3)生物学的同等性試験の内容は、同じく第二の一4記載の事実、証拠(甲三、三六ないし三八、乙三)及び弁論の全趣旨によれば、次のとおりであることが認められる。

(1) 規格試験は、医薬品の品質を公に登録し、同時にその品質を実証する手段を示すものであり、原告製剤については確認試験、純度試験、製剤試験、定量法が行われており、後発医薬品については先発医薬品と同等又はそれ以上の試験方法の検討及び実施をする必要があるため、同様の試験が行われた。

確認試験は、当該医薬品が目的物であるか否かをその特性に基づいて確認するための試験で、医薬品の化学構造上の特徴に基づいた特異性のある試験であることを要するものであり、純度試験は、医薬品中に混在する可能性のある不純物を試験するために、当該医薬品の製造過程、安定性及び用法・用量、並びに当該不純物の毒性、薬理作用等を考慮し、有効性と安定性の確保に意味のある試験項目、試験方法及び規格値を設定して行うもので、定量法とともに医薬品の純度を規定する試験であり、製剤試験は、製剤の特性又は機能等の品質を規定する試験であり、定量法は、当該医薬品の組成、有効成分の含量、力価又は含量単位を、物理的、化学的又は生物学的方法により測定する試験である。

(2) 加速試験は、一定の流通期間中の品質の安定性を短期間で推定するために実施するものであって、具体的な試験方法は前記第二の一4(二)記載のとおりであり、原体及び製剤それぞれにつき保存条件ごとに三ロットから一検体ずつ採取し、一定の温度及び湿度で保存し、その品質の変化をみるものである。

(3) 生物学的同等性試験は、新医薬品として承認を与えられた医薬品(又はそれに準ずる医薬品)と生物学的に同等であることを証明するために実施するもので、具体的な試験方法は前記第二の一4(三)記載のとおりであり、適切な統計的処理が可能となる例数の原則として健康人を対象として、最終製品(被告製剤)の臨床常用量を臨床投与経路により原則として一回投与し、適切な休薬期間を置いた交叉試験法により血中濃度を比較する方法により行うものである。

(三) しかして、弁論の全趣旨によれば、右認定のような本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造に当たっては、被告製剤が本件特許発明の実施品である原告製剤の後発医薬品であるとはいえ、本件特許発明にかかる明細書に記載されたところに依拠するのみでは現実に製剤として商品化することはできず、原告製剤のような先発医薬品を開発する場合と比較すれば、格段に費用が少なく期間が短くてすむとはいえ、それなりの知識、技術、経験に基づき、製剤の安定性、均一性を確保し、原告製剤と同程度の有効性を発揮させるよう、服用しやすい剤型を工夫するなどの技術開発が必要であると推認されるのであり、かかる本件試験は、前記のとおり薬事法に基づく製造承認の申請書に添付することが要求されている資料を得るために行われ、被告製剤の製造を薬事法上可能にすることを主たる目的として行われたものであるとはいえ、同時に、右のような技術開発としての側面をも有するものといわなければならない。

(四)  他方、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、原告と直接競業するような特許発明の実施ではなく、本件特許権の存続期間中において本件特許発明にかかる医薬品を市場において独占的に販売できるという原告の地位を何ら脅かすものではない。

もっとも、仮に被告らが本件特許権の存続期間中に本件試験を行うことが許容されず、その存続期間満了を待って本件試験に着手しなければならないとすれば、前記第二の一3記載のとおり、本件試験のうち加速試験は六か月以上の試験期間が要求されており、また、医療用の後発医薬品について、都道府県知事がその製造承認申請を受理した日から厚生大臣が当該医薬品に承認を与えるまでの標準的事務処理期間は、当分の間二年間とされているから、後発医薬品会社は、本件特許権の存続期間満了後少なくとも二年六か月間は本件特許発明の技術的範囲に属する後発医薬品を製造、販売することができず、その結果、原告は、事実上、存続期間満了後更に二年六か月間は本件特許発明にかかる医薬品の製造販売を独占できることになるところ、被告らが存続期間中に本件試験を行うことが許容されれば、かかる独占による利益を享受しえないことになる。しかし、右製造承認制度は、前記のとおり医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制であり、製造販売の独占による特許権者の利益を保障する特許法とは全く異なるのであって、もとより、かかる特許権者の利益を保障するものではないから、右のような原告の利益は、薬事法に基づく製造承認制度によりもたらされる反射的な利益にすぎず、それ自体法律上保護に値する利益には当たらないものというほかない。

(五)  以上のように、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、多かれ少なかれ技術開発の側面を有し、他方これによって失われる原告の利益が法律上保護に値する利益とはいえないことに鑑みると、前記(一)の説示に照らし、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると解するのが相当というべきである。

3  原告は、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造が右「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当することを争い、その理由として、剤型の工夫や安定化の工夫などは、本件特許発明にかかる物質に何ら改良を加えるものではなく、本件特許発明を進歩させるものではないから、製造承認を得るための実施を合法化するものではないとか、例えば剤型のみの改良のように、既存の医薬品にかかる特許発明の価値と比較してあまりにマイナーな改良にすぎないと考えられる場合には、特許権の利益と衡量して特許法六九条一項の試験行為とはいいがたいと主張し、更に、生物学的同等性試験は、申請対象の医薬品を患者にではなく健康な人間に投与して、既存の医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であるから、患者を対象とした臨床試験とは異なり、既存の医薬品の特許性を支える薬効自体の改良につながるような資料は得られないのであり、服用しやすい剤型の工夫などマイナーな改良の端緒となる資料が得られる可能性はあるが、かかる程度では、特許権者の利益を犠牲にしてまで適法とすべきと評価されるような改良につながるものとはいいがたく、したがって、少なくとも本件試験のうち生物学的同等性試験に伴う実施は、結論として侵害を構成する旨主張する。

しかし、典型的な特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するとされる、特許発明にかかる技術を改良し、更に発展させることを目的とするような試験研究についても、目的とする特許発明にかかる技術の改良・発展の程度・内容はまちまちであり、主観的にはともかく、客観的にみれば、特許発明にかかる医薬品とは全く新しい医薬品として特許に値する発明から、発明ではあっても当該特許発明の利用発明として特許に値するもの、更には、かかる特許には値する程度には至らない程度の改良・発展であって、本件特許発明と比べて格段に価値の低いものまであり、しかも、結果として何ら成果を上げられないことも多いことは推認するに難くない(特に全く新しい医薬品として特許に値する発明につながることは極めて稀であろう)から、本件試験、特に生物学的同等性試験が、剤型の工夫など本件特許発明と比べて価値の低い改良にしかつながらないからといって、そのことの故をもって右「試験又は研究」に該当しないとするのは相当でない。

原告は、本件で原告が違法行為であるとするのは被告らが市場で販売することを目的として製造し、製造の承認を得るため薬事法上要求されている試験を行う行為であり、この行為が特許権者の市場での利益を害するおそれがあることは多言を要しないとも主張するが、被告らが本件試験を行ったのは本件特許権の存続期間満了後に被告製剤を市場で販売するべく製造承認を得るためであり、現に被告らが製造承認を得たのは本件特許権の存続期間満了後のことであるから、本件特許権の存続期間中に特許権者たる原告の市場での利益を害するおそれはないものといわなければならない。もっとも、本件特許権の存続期間満了後に市場で販売するのに備えて、存続期間中に被告製剤を製造して蓄積しておくようなことも、存続期間中に特許権者たる原告の市場での利益を害するおそれはないとはいえるが、右「試験又は研究」に該当しないことが明らかであり、許容されるものではない。

また、原告は、昭和六二年の特許法改正により存続期間の延長登録制度(六七条二項)が導入された際の経緯に鑑みても、価値ある改良につながらないような場合には、製造承認を得るため薬事法上の試験等を特許権の存続期間中に行う行為は違法であると考えるべきであると主張するが、その理由として主張するところ(第三の一【原告の主張】3(二))を検討しても、採用することができない。この関係で原告は除草剤事件判決を引用して主張を展開するが、最高裁判所の判例というわけではなく、しかも、同判決の判示については被告共和薬品工業ら主張のような読み方(第三の一【被告共和薬品工業らの主張】3(二))も十分可能であり、原告の主張を根拠づける資料とすることはできない。

確かに、原告の主張するように、特許権自体は成立しても薬事法等の許可を得るまでの期間は、特許権者といえども製造、販売できず、事実上特許権の存続期間が侵食される結果となっていることは否定できないが、そのことによる特許権者の不利益の救済は、右特許法六七条二項の存続期間の延長登録制度により解決が図られるべきものであり、現行の六七条二項の程度では不十分であるというのであればその改正が考えられべきであり、いずれにしても特許政策ないし産業政策という立法政策の問題である。

三  以上のとおり、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると解するのが相当であるから、本件特許権を侵害するものとはいえない。

なお、被告東和薬品は、特許権の存続期間中に、その満了後に特許発明の実施品である医薬品(先発医薬品)の市場に参入するべく後発医薬品会社が製造承認を得るために必要な試験等を行うことは、形式的には特許権者の独占的実施権(六八条)の侵害を構成することは否定しがたいと主張し、明示的に本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造が本件特許権を侵害するとの原告の主張を争ってはいないが(そうだからといって、損害賠償請求についても、これを認諾したわけでも、これに関する原告主張の請求原因事実を全面的に認めているわけでもない)、右は法律の解釈適用の問題であって、当裁判所を拘束するものではなく、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造は薬事法一四条に基づく製造承認申請書に添付する資料を調える目的でしたものであることは原告と被告東和薬品との間でも争いのない事実であり(前記第二の一4)、特許法六九条一項の要件事実たる事実は弁論に顕れているから、被告東和薬品が本件試験は同条項にいう「試験又は研究」に該当するから本件特許権を侵害するものではないとの法律の解釈適用に関する主張をしていなくても、当裁判所が被告東和薬品についても前示のとおり同条項に該当するから本件特許権を侵害するものではないとの判断をすることは、弁論主義に反するものではない。

したがって、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造が本件特許権を侵害する違法なものであることを前提として、被告らに対し被告製剤の販売の差止め及び損害賠償を求める原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

更に、被告製剤の判断の差止請求について付言すれば、原告は、これを特許権(その余後効力)又は不法行為に基づく差止請求権として構成するのであるが、特許法は、特許権者は特許権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防などを請求することができるものとして(特許法一〇〇条)、特許権を物権に準ずるもののように定めるとともに、その存続期間は特許出願の日から二〇年をもって終了すると明確に定めている(六七条一項)のであるから、物権法定主義の趣旨に照らし、特許権は存続期間の満了により対世的、絶対的に消滅するものと解すべきであり、その消滅した特許権に基づく差止請求権が存しないことは明らかであり、特許権の余後効力なるものも認められないし、不法行為の効果として差止請求権が発生すると解することもできない。

第五  結論

よって、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する(平成九年一〇月一六日口頭弁論終結)。

(裁判長裁判官水野武 裁判官小出啓子 裁判官田中俊次は、転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官水野武)

別紙<省略>

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